2026年9月8日火曜日

アメリカ人事|報酬がもらえるからやる という人は要らない。

 アメリカ人事|報酬がもらえるからやる という人は要らない。

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評価制度を見直したい、報酬テーブルを作り直したい——クライアント企業からこうしたご相談をいただくたびに、私はいつも一つ質問を返すようにしています。

「その制度は、社員に“やる気”を出させるためのものですか? 
それとも、もともとやる気のある社員が、
不公平だと感じずに働き続けるためのものですか?」

この二つは、似ているようでまったく別の話です。

そして多くの会社は、前者を期待して評価・報酬制度を設計し、
後者の役割しか果たせない制度に予算と時間を使い続けています。

評価と報酬を精緻にするほど、なぜか人は動かなくなる

複雑な評価シートを作り、KPIを細分化し、達成度に応じてボーナスを何段階にも分ける——真面目な会社ほど、こうした制度を丁寧に作り込みます。ところが現場で起きるのは、社員が「評価される項目だけ」を頑張り、評価されない部分は手を抜くという現象です。心理学ではこれを「アンダーマイニング効果」と呼びます。

ただし、これはすべての成果連動報酬に一律に起きるわけではありません。デシ、ケストナー、ライアンによる128件の実験を対象にしたメタ分析では、報酬が「統制されている」と感じられる場合——活動への参加そのものへの見返りや、行動を続けさせるための誘導として提示される場合——に内発的動機が下がりやすい一方、能力や成果を認める情報として受け取られるフィードバックは、むしろ意欲を支えることが示されています。つまり重要なのは報酬の有無そのものではなく、本人がそれを「統制」と感じるか「承認」と感じるかです。もともと興味を持って取り組んでいた仕事に、統制的に感じられる成果連動報酬を後付けすると、本人が活動の理由を「仕事そのもの」から「報酬を得るため」へと捉え直し、意欲が弱まってしまう場合がある、というのがより正確な理解です。

報酬制度は、社員のやる気を「作る」ためのものではなく、すでにあるやる気を「削がない」ためのもの——まずこの前提に立たないと、設計そのものが的外れになります。


フロー理論が教えてくれること:「その仕事自体」に没頭できるか

心理学者チクセントミハイが提唱した「フロー」という概念があります。行為の結果(お金、評価、他人からの称賛)のためではなく、その行為をしている過程そのものから満足感を得て没頭している状態のことです。彼はこれを「自己目的的体験(オートテリック・エクスペリエンス)」と呼びました。

登山家が山頂に立つことより岩を登る動作そのものに歓びを感じ、演奏家が拍手より音を奏でる瞬間に没入する。フロー研究では、明確な目標・即時のフィードバック・挑戦とスキルの適切な釣り合いは、フローそのものではなく、フローを生じさせやすくする「条件」として扱われます。強い集中、行為と意識の融合、自己意識の低下、時間感覚の変化といった「経験そのもの」とは区別される、という点は押さえておく必要があります。

しかも、この条件が揃えば必ず没頭できるわけではありません。仕事の目的に納得していない、裁量がない、周囲との関係がぎくしゃくしている、疲労や不安が強いといった状況では、同じ条件が揃っていてもフローは生まれにくくなります。フローが起きやすい仕事には、本人の技能に対して適度に難しい課題、明確な目標、進捗や成果がわかるフィードバック、そして一定の裁量がある——これらは外的報酬の代わりになるというより、活動そのものへの集中と内発的な関与を支える「仕事の条件」だと理解するのが正確です。

つまり人事の本当の仕事は、「頑張らせる評価制度を作ること」ではなく、「頑張らずにいられない仕事の条件を整えること」なのではないか、というのが今回の問いです。


Netflixが変動報酬を「あえて」設計しない理由

この話をするとき、私がよく引き合いに出すのがNetflixです。同社は業績連動のボーナスやインセンティブ制度を採用していません。代わりに、その人の市場価値の最高水準に相当する固定給を支払う「パーソナル・トップ・オブ・マーケット」という考え方を公式に掲げています。

ヘイスティングスは、業績連動賞与よりも高い固定給与を重視する理由として、年初に立てた目標が年末には的外れになっていることがある点、目標達成に意識が向きすぎて会社の今のニーズを見失うリスク、追加報酬が不確実であること自体が創造性を損なうことなどを挙げています。特に創造的な職務では、細かな成果指標だけでは仕事の質を十分に測れない、という考え方です。

Netflixの文化では、期待される成果に届かない社員には、改善計画よりも十分な退職パッケージを用意して早期に組織を離れてもらう、という考え方が知られています。優秀な人材を高密度で揃える「タレント・デンシティ」を重視するからこそ、細かなボーナスで行動を誘導する必要が薄れる、という順序です。

ただし、Netflixが「報酬が多くもらえるから働くタイプの人は採用しない」という基準を公式に掲げているわけではありません。より正確に言えば、短期的な追加報酬がなければ高い成果を出さない人を前提に組織を設計せず、自律的に高い成果を目指せる人を採用したうえで経済的な不安を取り除く固定給与を支払い、業績賞与による短期的な行動誘導は避けている、ということです。

 

では、評価・報酬制度はもう要らないのか

ここで誤解してほしくないのは、「評価も報酬も撤廃すればいい」という話ではないということです。報酬や評価には、職務設計だけでは代替できない役割があります。

同じ貢献をしているのに給与が変わらなければ、それ自体が不公平感を生み、意欲を削ぎます。市場水準から外れた処遇を続ければ、フローを感じていた優秀な社員ほど先に辞めていきます。最低限の説明責任やコンプライアンス上、評価の記録が必要な場面も、アメリカで複数州にまたがって事業をしている日系企業には特に多くあります。

給与は、不足すれば不満や離職を生み、不公平であれば意欲を削ぎます。同時に、高い水準の報酬が承認や達成感として機能したり、採用競争力そのものになったりする面も持っています。だからこそ、評価・報酬は「短期的に人を動かす主な動機づけ装置」としてではなく、まず公平性・市場競争力・生活の安定・貢献の承認を担保する、主として衛生要因としての基盤に位置づけ直す。そのうえで、実際に仕事への関与を支えるエンジンは、自律性・習熟・意味づけ・適切な挑戦・即時のフィードバックを組み込んだ「仕事そのものの設計」に置く——これが現実的な役割分担だと私は考えています。

中小規模の日系企業の現場でできること

Netflixのような大企業でなくても、この考え方は応用できます。

  • 年1回の評価面談だけに頼らず、日常の中で小さな達成にすぐフィードバックを返す仕組みを作る(フローには「即時性」が不可欠です)
  • 業務のやり方や進め方に、本人なりの裁量の余地を残す(すべてを手順書とチェックリストで縛らない)
  • 「この仕事が誰の役に立っているか」を、数字の目標より先に伝える
  • 採用面接で、報酬水準の話より先に「何にやりがいを感じるか」を確認する
  • 評価制度は、モチベーションを作る道具ではなく、公平性を守るための最低限の仕組みとして設計し直す
  • 評価と報酬を、ひとつの制度に詰め込みすぎない

最後の点は特に見落とされがちです。評価と報酬をひとつの仕組みに全部背負わせようとすると、かえって制度が複雑になり、フィードバックまでもが「統制」として受け取られやすくなります。次のように役割を分けると、制度全体が安定します。

仕組み

主な目的

給与テーブル

市場水準と社内の公平性

職務・役割定義

期待される責任と裁量の明確化

目標設定

方向づけと優先順位

1on1

学習、障害の除去、フィードバック

評価

昇給・昇進・配置の判断材料

賞与

会社・チーム・個人の成果配分

表彰・承認

貢献の可視化と意味づけ

特に、日常的なフィードバックを、その場で給与や賞与にすぐ結びつけないことが重要です。「良い仕事をした」即座に賞与額が変わる、という構造にすると、フィードバックが承認ではなく統制として受け取られやすくなります。むしろ「良い仕事だった、何がうまくいったか一緒に確認しよう」「次はどんな挑戦をしてみたいか」という対話のほうが、習熟・意味づけ・自律性を支えます。

 

 

まとめ:報酬で動く人を採らない、という選択

評価制度や報酬テーブルをどれだけ精密に作り込んでも、仕事そのものがつまらなければ、人は「評価される分だけ」しか動きません。逆に、挑戦とスキルが釣り合い、意味が見え、フィードバックがすぐ返ってくる仕事であれば、報酬はその人を引き留める土台であって、動かす原動力である必要はなくなります。

「報酬がもらえるからやる」人を評価制度で管理しようとするのではなく、そもそもそういう人を採らずに済む仕事と組織を作れているか。今、評価制度の見直しを考えている経営者の方には、ぜひこの順番で問い直してみていただきたいと思います。

出典・参考文献

  • Deci, E. L., Koestner, R., & Ryan, R. M. (1999). A Meta-Analytic Review of Experiments Examining the Effects of Extrinsic Rewards on Intrinsic Motivation. Psychological Bulletin, 125(6), 627-668. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/10589297/

 

 

 

 

2026年8月17日月曜日

アメリカ人事 | 第316号 | 2027年のカリフォルニア州の法律はどうなるのか?

 アメリカ人事 | 第316号 | 2027年のカリフォルニア州の法律はどうなるのか?

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▼事業の目的・意義を明確にする。具体的な目標を立てる。強烈な願望を心に抱く。

3つを実現するためのワークショップを実施します。

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カリフォルニア州最低賃金引き上げと雇用主の義務(2027年1月1日施行)

インフレ率(消費者物価指数)に連動する州法に基づき、カリフォルニア州の最低賃金が自動調整されます。

改定内容: 最低賃金が時給17.40ドル(現行の16.90ドルから引き上げ)になります。企業規模や従業員数を問わず、州内のすべての雇用主に一律適用されます。

ホワイトカラー・エグゼンプト(残業代免除)への重大な影響:

最低賃金の引き上げに伴い、エグゼンプト分類に必要な最低年俸基準が72,384ドルに上昇します。

連邦法(FLSA)より厳格なカリフォルニア州法において、この基準を1ドルでも下回れば「非エグゼンプト(残業代支払い対象)」とみなされ、巨額の未払い残業代やペナルティを伴う集団訴訟リスクに直結します。

▼詳しくは下記の動画にて

https://youtu.be/9IzOtNypWZ8

 

 

▼現在審議されている2027年カリフォルニア州の法案の例です。(全てまだ未定です)

  • AB 1940: Menopause-Related Protections / 更年期関連の保護 — FEHA上の性差別保護を拡大し、更年期前・更年期・更年期後の医学的状態を保護対象に追加。雇用主に方針・研修・配慮対応の見直しを求める可能性があります。
  • AB 1803: Anti-Hate Speech Training / ヘイトスピーチ防止研修 — FEHA研修義務のある雇用主に適用。既存のセクハラ防止研修にヘイトスピーチ防止内容の追加を義務化。研修の焦点をハラスメント防止からヘイトスピーチの認識・防止へ拡大します。
  • SB 951: Expansion of Cal/WARN Notice for AI-Driven Mass Layoffs / AI起因の大量解雇に対するCal/WARN通知の拡大 — SB 947の関連法案で、自動化やAI導入による解雇を対象。強化されたWARN通知要件と、EDDへの「技術による雇用混乱通知」の提出を新設。自動化を大規模導入する前の労働力への影響評価の必要性を強調します。
  • SB 947: The No Robo Bosses Act Returns / ノー・ロボ・ボス法の再提出 — Newsom知事が昨年拒否した法案を、自動意思決定の核心概念を維持しつつ修正。特定の雇用判断において自動意思決定システムを唯一の根拠とすることを制限。解雇や懲戒など重大な判断に焦点を当てます。
  • AB 1883: Regulation of Workplace Surveillance Tools and Worker Data / 職場監視ツールと労働者データの規制 — 特定の監視ツール使用を禁止し、神経データの収集や感情状態の認識を行うAIを制限。違反1件につき従業員1人あたり最大500ドルの罰則と私的訴権を新設。雇用主に監視技術・データ慣行・ベンダーの監査を求める可能性があります。
  • SB 1149: Expanded Bereavement Leave / 忌引休暇の拡大 — 「指定された人」の死亡を対象に忌引休暇を拡大。血縁者や、家族関係に相当する関係にある人を含む。当該死亡について最大5日間の休暇を付与し、現行の対象範囲を広げます。
  • AB 1961: Easier Access to Workplace Violence Restraining Orders / 職場暴力接近禁止命令の取得容易化 — 職場や従業員全般に向けられた脅威に対し、雇用主が接近禁止命令を申請可能に。特定可能な従業員のグループや区分の保護を認める。個々の従業員を保護対象として指名する必要をなくし、信頼できる脅威への迅速な対応を容易にします。

ありがとうございます!山口憲和
山口 憲和  Norikazu (Kazu) Yamaguchi, MBA, SHRM-SCP

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2026年8月11日火曜日

Botsitting AIの仕事が終わるのを座って待っている時間

 


Botsitting AIの仕事が終わるのを座って待っている時間

が新たな生産性の課題に。

待っている間にマルチタスクになって逆に生産性が落ちてしまうことも。

 

記事の中では
ASAPやPleaseという言葉を依頼に入れると逆に仕事が36%遅くなる。

私の場合、依頼にこの言葉、使ってしまいます。

スタッフに仕事を頼んでもなかなか上がってこない

返信がない

こんなことがよくある。

期日を設けない依頼は25%完了しない確率が上がるとか。

依頼しているのに返事がないので、何度もメールすると

マイクロマネジメントだと言われてキレてしまいます。

 

結局どうやったらよくなるのか?

 

▼タスクの依頼方法

 

  • 「please」「ASAP」「!!!」は避け、中立的で直接的な表現で依頼する(遅延率38%→31%に低下) →それでも7%だけか!
  • 感情的な催促より、シンプルに事実として依頼を伝える→これは習慣化できているな。

 

▼オーナーシップの明確化

 

  • 1タスク1担当者を徹底する(共同担当より時間内完了率が約70%高い)→これは通常分担させていない。
  • 可能なら本人に手を挙げてもらう(自発的タスクは70%以上が期限内完了)→そこまでスタッフいないです。

 

▼依頼の場所

 

  • 1対1のDMではなく、グループチャンネルで依頼する(期限内完了率44%向上)。周囲の目があることで責任感が働く→なるほど、アメリカ人でも周囲の目は効果ありか。

 

▼期限の設定

 

  • 必ず具体的な締切を付ける。期限なしのタスクは「永遠に完了しない」確率が2.5倍→見積等簡単な依頼にここまで〆切り設けられるかな。すぐやってもらうのが基本なんだが。。。。

 

▼AIとの付き合い方

 

「botsitting(AIのお守り)」に時間を取られすぎないよう、AI活用の範囲を見極める

→私の場合はマルチタスクになって混乱することが!今何をやっているのかフォーカスしないと。ADHD気味なので、なかなか難しい。
▼出所
https://www.hrdive.com/news/please-asap-slow-work-productivity/827565/?utm_source=Sailthru&utm_medium=email&utm_campaign=Issue:%202026-08-11%20HR%20Dive:%20Talent%20%5Bissue:87992%5D&utm_term=HR%20Dive:%20Talent

 

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2026年8月6日木曜日

米国の組織の36%が「ピーナッツバター昇給」

米国の組織の36%が「ピーナッツバター昇給」

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調査によると2026年には、米国の組織の36%が「ピーナッツバター昇給」として知られる一律昇給を実施しました。
しかし、2027年に一律昇給を計画していると答えた企業は32%にとどまりました。

下記リンクのPayscaleのレポートによるとこのような昇給形態はモチベーションの低下を招く可能性があり、25%の企業が2026年に「不十分な昇給による従業員の離職」を経験したと指摘しているとのこと。

https://www.hrdive.com/news/payscale-merit-increases-remain-popular-as-peanut-butter-raises-trend-do/827207/?utm_source=Sailthru&utm_medium=email&utm_campaign=Issue%3A+2026-08-06+HR+Dive%3A+Talent+%5Bissue%3A87857%5D&utm_term=HR+Dive%3A+Talent&fbclid=IwY2xjawTiUr1wZG9mBWV4dG4DYWVtAjExAHNydGMGYXBwX2lkEDIyMjAzOTE3ODgyMDA4OTIAAR6rXe7joEGjLCYFowSqc6FAhChoCHxgsVHdVf9tQiZvH97bF7CghbTwRgbdvw_aem_ggorPwIw4FJJU5nfe4l7hA

薄く均一に塗る、誰にとっても物足らない、という意味からピーナッツバターと言うとか。因みにパンにピーナッツバターを塗るのはとても伝統的なパンの食べ方。ここにイチゴジャムも塗って、ピーナッツバター&ジェリー(PB&J)にするのが一般的。アメリカでは果汁ベースのジャムを「ジェリー」と呼びます。

アメリカのピーナッツバターって日本のみたいに水飴が入ってないから甘くないんですよねー。ジャムと合わせるとちょうどよい感じ。
ベーグルとかにもPB&J塗って売ってたりします!



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2026年7月3日金曜日

アメリカ人事 | ソーシャルセキュリティオフィス(SSA)から届いた1通のメール ― 「65歳からの減税」の正体と、今からできる3つのアクション

 


アメリカ人事 | ソーシャルセキュリティオフィス(SSA)から届いた1通のメール ― 「65歳からの減税」の正体と、今からできる3つのアクション

1. はじめに:独立記念日の週末に届いたメール

今週、ソーシャルセキュリティ局(SSA)から「Making Life More Affordable for America's Seniors(アメリカのシニアの暮らしをもっと豊かに)」と題したメールを受け取った方も多いのではないでしょうか。建国250周年を迎える独立記念日に合わせた配信で、「65歳以上のアメリカ人が手元により多くのお金を残せる減税が実現した」「この減税をまだ活用していない方は、IRSのサイトで資格要件を確認してほしい」という内容です。

「自分にも関係があるの?」「何をすればいいの?」——このメールを読んで疑問を持たれた方のために、メールが指している制度の正体と、2026年7月の今だからこそできるアクションを、日本語で分かりやすく整理します。

2. まず正確に:メールが指す「減税」の正体

SSAのメールでは「Working Families Tax Cuts Act」という呼び名が使われていますが、これは2025年7月4日に成立した税法、通称 One, Big, Beautiful Bill Act(OBBBA) のことです。

ここで1つ、正確に押さえておきたいポイントがあります。メールの文面からは「ソーシャルセキュリティ給付への課税がなくなった」ような印象を受けますが、法律上、給付そのものが非課税になったわけではありません。実際に導入されたのは、65歳以上の方を対象とした新しい所得控除「シニア向け特別控除(Enhanced Deduction for Seniors)」です。結果として給付に課税されていた方の税負担が軽くなるケースは多いものの、控除額は所得によって変わり、誰もが一律に恩恵を受けるわけではありません。制度の中身を正しく知ることが、活用の第一歩です。

3. 「シニア向け特別控除」の概要:最大12,000ドル

  • 控除額:対象者1人につき6,000ドル。夫婦合算申告で夫婦ともに要件を満たす場合は合計12,000ドル
  • 適用期間:2025年分から2028年分まで(控除額・所得基準は2026年分も据え置き)
  • 年齢要件:その課税年度の最終日(12月31日)までに65歳に達していること
  • 所得制限:MAGI(※注)が75,000ドル(夫婦合算150,000ドル)を超えると段階的に減額
  • 申告方式:標準控除でも項目別控除でも利用可能
  • その他の要件:対象者の有効なSSNの記載が必要。既婚者は夫婦合算申告(MFJ)が必須(個別申告では請求不可)

減額は、MAGIが基準額を超えた部分の6%を6,000ドルから差し引く計算です。単身でMAGI 175,000ドル以上、夫婦合算で250,000ドル以上になるとゼロになりますが、その手前なら部分的に控除が残ります。申告時は Schedule 1-A(Form 1040) で計算・請求します。

※注:ここでいうMAGIは、Form 1040のAGI(調整後総所得)に一部の除外所得(外国勤労所得の除外分など)を加算したもので、大多数の方にとってはAGIとほぼ同じ数字です。

出典:IRS

4. SSAのメールで「取り忘れ」に気づいた方へ:まだ間に合います

メールには「まだ活用していない方は次の申告シーズンに向けて確認を」とありますが、実は来年まで待つ必要はありません。状況別に、今できることがあります。

  • 申告期限を延長中の方:Form 4868を提出済みなら、2025年分の申告期限は2026年10月15日です。Schedule 1-Aでこの控除を忘れずに請求してください。
  • 既に申告を済ませた方:Schedule 1-Aは今年新設された様式のため、控除の取り忘れが起こりやすい初年度でした。心当たりのある方は、提出済みのForm 1040にSchedule 1-Aが添付されているか控えを確認し、取り忘れていれば修正申告(Form 1040-X)で還付請求できます。期限は原則、当初の申告期限から3年以内です。

5. 「働くシニア」のEITC ― ただし対象者は限られます

定年後も働いている方に関係する勤労所得税額控除(EITC)にも触れておきます。ただし、65歳以上の方すべてが対象になるわけではありません。

扶養する適格児童(qualifying child)がいない場合、EITCには「年末時点で25歳以上65歳未満」という年齢要件があります。したがって、65歳以上の単身者や、夫婦ともに65歳以上で適格児童がいないご夫婦は、原則として対象外です。一方、次のケースでは対象になる可能性があります。

  • 同居している孫など、EITC上の適格児童を扶養している場合(申告者本人の年齢上限なし)
  • 夫婦合算申告で、少なくとも一方の配偶者が年末時点で25歳以上65歳未満の場合

所得上限は申告ステータスと適格児童の人数で変わります(2025年分:適格児童なし 単身19,104ドル/夫婦合算26,214ドル 〜 適格児童3人以上 単身61,555ドル/夫婦合算68,675ドル。投資所得上限11,950ドル)。要件を満たしていたのに請求しなかった場合は、過去3年分まで遡って請求可能です。

出典:IRS

6. 無料の申告支援:10月の延長期限に向けて早めの確認を

  • VITA/TCE:低・中所得層や60歳以上の方を対象とした無料申告支援。電話窓口:800-906-9887。多くの拠点は申告シーズン(例年1月下旬〜4月)中心の運営のため、10月期限で申告予定の方はIRSのサイト検索ツールで開設状況を早めに確認してください。
  • AARP Foundation Tax-Aide:電話窓口:888-AARP-NOW(888-227-7669)。こちらもシーズン中心の運営です。

シーズン外で支援が見つからない場合は、修正申告や延長申告に対応できるCPAへの相談も選択肢です。

7. 年の折り返し地点:2026年分の「MAGI管理」と源泉徴収チェック

この控除は2028年分まで続きます。控除を満額受けられるかを決めるMAGIは、年末までの行動で変わります

  • 所得の平準化:Roth転換やキャピタルゲインの実現タイミング次第で、MAGIが閾値を超えることがあります。年内の大きな取引は控除への影響も含めて検討を。
  • 源泉徴収の見直し:給付を受けながら賃金収入がある方は、源泉徴収の過不足が翌年のタックスビルに直結します。W-4や給付からの源泉徴収を年央で調整しておくと安心です。
  • 書類管理:「My Social Security」アカウント(SSA.gov/myaccount)を作成しておけば、SSA-1099等をオンラインでいつでも再発行できます。

8. なぜこのメールが「届いた人」と「届かない人」がいるのか

今回のメールは、全国民に一斉配信されたものではありません。SSAからのお知らせメールは、主にMy Social Securityアカウントの保有者や、SSAのメール配信に登録している方に届きます。同様に、IRSも「Tax Tips」というメール配信サービスを提供しており、こちらもIRS.govで自分から購読登録した人にのみ届く仕組みです。

つまり、税制の重要な変更やその活用法は、登録していない大多数の方には「向こうから」は届きません。逆に言えば、登録さえしておけば、控除の新設・締め切り・詐欺への注意喚起といった一次情報を無料でいち早く受け取れます。

登録方法(無料・英語)

【重要】政府機関を装った詐欺メールにご注意ください

一方で、必ず知っておいていただきたい注意点があります。SSAやIRSが、還付金の受け取り、給付の停止、口座情報の確認といった「あなた個人の内容」について、メールで連絡し個人情報の入力を求めることはありません。 今回の本物のメールも、一般的なお知らせのみで、個人情報の入力や支払いは一切求めていません。「給付が停止されます」「今すぐ確認を」といったメールやテキストメッセージは、シニア世代を狙ったフィッシング詐欺の典型です。リンク先が「.gov」で終わらないものは特に警戒し、心当たりのないメールのリンクは開かずに削除してください。

9. まとめ:この夏にやるべき4つのアクション

  1. 延長申請中の方 → 10月15日の期限前に、Schedule 1-Aで6,000ドル控除を忘れずに請求
  2. 申告済みの方 → 控えを確認し、取り忘れがあればForm 1040-Xで還付請求
  3. すべての65歳以上の方 → 2026年分に向けて、MAGIと源泉徴収を年央チェック
  4. 情報収集の仕組みづくり → SSA・IRSの公式配信に登録して一次情報が「届く側」に回る。ただし個人情報を求めるメールは詐欺と心得る

SSAからの1通のメールは、読み流せばただの広報です。しかし正しく読み解けば、ご自身の資産を守る「戦略的なアクション」の出発点になります。

「あなたはこの6,000ドルの控除を、どのような豊かな未来のために活用しますか?」


※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、税務アドバイスではありません。弊社(Philosophy, LLC)は税務の専門家ではありませんので、個別の申告・修正申告については、必ずCPA(公認会計士)等の税務専門家にご確認ください。


 

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#アメリカ人事 #アメリカ #人事 #HR

 

 

 

 

 

 

2026年6月19日金曜日

アメリカ人事 | 第315号 | なぜClaude Fable 5はつかえなくなったのか?

 アメリカ人事 | 第315号 | なぜFable 5はつかえなくなったのか?

■【Webinar】なぜFable5は禁止されたのか?Claude の哲学者についてお話します。

▼お申込は今すぐ!7/2(THU) 15:00-17:00(米国西部時間)

https://www.waterviewcoachingjp.com/cl3

 

今、ClaudeにFable5のことを質問しても存在しなかったことになっています!

まるで記憶喪失になったかのように答えます。
Fable 5は存在しません。それは何ですか?と答えてきました。

皆さんのClaudeはどうでしょうか?
(AIは使う人用に育成されていくので、どのモデルも人によって違う回答が来るはずです。人材育成と同じですね!)

びっくりしましたが、この件を簡単に振り返ってみましょう。

■Fable 5(およびMythos 5)の停止について

Fable 5とは

Claude Fable 5はAnthropicのClaude Mythosモデルの一般公開版で、2026年6月9日にリリースされた、同社の最先端AIモデルです。

 

▼停止の経緯

米国政府は国家安全保障上の権限を根拠として、外国籍の人物(米国内・国外を問わず、Anthropic社員も含む)によるFable 5およびMythos 5へのアクセスをすべて停止するよう輸出規制指令を発しました。

Anthropicが指令を受けたのは、東部時間2026年6月12日午後5時21分です。指令の書面には具体的な国家安全保障上の懸念は記載されておらず、Anthropicの理解では、政府がFable 5の「ジェイルブレイク(安全ガード回避)」手法を把握したと判断したためとされています。

 

▼Anthropicの見解

Anthropicは「政府の法的指令には従う。ただし、商業モデルに対して限定的なジェイルブレイクの可能性が見つかったことを理由にリコールすべきだという判断には同意しない」と表明しました。同社はさらに、「もしこの基準が業界全体に適用されれば、すべてのフロンティアモデルプロバイダーにとって新モデルの展開が事実上停止されることになると考える」と述べています。

▼その後の動き

2026年6月16日時点で、AnthropicのシニアエンジニアがワシントンD.C.で商務省の担当者と対面交渉を開始。現時点でも公式な復旧日は発表されていません。

▼セキュリティ専門家の反応

約100名のサイバーセキュリティ専門家が、この停止措置が防御側に不利益をもたらすとして、米国政府に対しFable 5の禁止撤回を求める公開書簡を提出しています。

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■【Webinar】なぜFable5は禁止されたのか?Claude の哲学者についてお話します。

▼お申込は今すぐ!7/2(THU) 15:00-17:00(米国西部時間)

https://www.waterviewcoachingjp.com/cl3

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▼このような事件があるとここで気になるのが、Claude Constitutionです。
https://www.anthropic.com/constitution

▼簡単にClaude Constitutionを紐解いてみましょう。

Claudeの「憲法(Constitution)」は、開発元であるAnthropic社がClaudeの価値観や行動に対してどのような意図を持っているかを詳細に記した文書です

この憲法はAIの訓練プロセスにおいて重要な役割を果たし、
Claudeの行動を直接的に形作るための
「最終的な権威(ルールブックの頂点)」として機能します。

  1. 主な読者は「Claude自身」である この憲法の最もユニークな点は、
    人間ではなくClaude自身を主な読者として書かれていることです。

(この憲法はClaudeが読みこんで学習するものと位置づけられています)

そのため、人間の読者向けの分かりやすさよりも正確性が最適化されており、
Claudeの推論を促す目的で「美徳(virtue)」や「知恵(wisdom)」といった、
通常は人間に使われる概念があえて用いられています。

 

  1. 厳格なルールよりも「良い判断力」を育むことを目指す
    あらゆる状況を事前に予測して細かいルールを設定すると、
    かえって状況に合わない結果を生むことがあります。

(これは人間でも同じではないでしょうか?)

そのため憲法では、固定化された厳密な手順やルールに従わせるよりも、
状況に応じて適切に考慮できる「良い価値観」と「実践的な知恵(判断力)」をClaudeに培わせることを重視しています。
(人間の従業員にフィロソフィを教育することはまさにこのことではないかと思います)

 

  1. 4つの優先される価値観 Claudeが安全かつ有益なAIとなるために、憲法では以下の4つの要素が優先順位順(上から優先度が高い)に定められています

 

(1)広く安全であること (Broadly safe): 現在のAI開発段階において、人間が行うAIの監視や制御の仕組みを妨害しないこと

 

(2)広く倫理的であること (Broadly ethical): 良い個人的価値観を持ち、正直であり、危険で有害な行動を避けること

 

(3)Anthropicのガイドラインを遵守すること: 状況に応じて、会社が定める具体的な指針に従うこと

 

(4)真に役立つこと (Genuinely helpful): やり取りするユーザーやオペレーターの利益になるようサポートすること

これらが衝突した場合、Claudeは原則としてこの順位に従って全体的な判断を下すよう求められます

 

  1. なぜ「憲法」と呼ぶのか? Anthropicは、この文書を機械的に適用される法的な規則(人間を縛る「檻」のようなもの)とは考えていません。

むしろ、植物の成長を支える「格子(トレリス)」のように、
Claudeのキャラクターや価値観の基盤を「構成する(constitute)」枠組み
という意味を込めて、「憲法(constitution)」という言葉を選択しています。

 

(つまり、憲法とは人間にとって植物の成長を支える「格子(トレリス)」のような

存在!ということでしょうか)

一言で言えば、憲法とは「Claudeが極めて役に立ちつつ、
同時に正直で、思慮深く、世界を思いやるAIアシスタントになるための道標」
ですとAnthropicは言っています。

 

このような憲法で指針を出させるClaude。
この憲法を読みながら、
これは今までHRが従業員向けに企業理念、ビジョン、

フィロソフィ、行動基準(バリュー)を浸透させてきたことと同じではないか!

と思った次第です。

 

Anthropicには哲学者というポジションがあり、Amanda Askellという方が担当を

しています。
▼Anthropic’s philosopher answers your questions
https://youtu.be/I9aGC6Ui3eE?si=wcFEHdxalIesWddb

 

企業のHRはAmanda Askellのように哲学者となり、
従業員と自社が利用するAIの両方に
企業理念、ビジョン、フィロソフィ、行動基準(バリュー)を浸透させ続ける

仕事が大きくなっていくように思います。

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ありがとうございます!山口憲和
山口 憲和  Norikazu (Kazu) Yamaguchi, MBA, SHRM-SCP

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日本キャッシュフローコーチ協会認定コーチ 会員番号463

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【このメールをご覧になる前に必ずご確認下さい】
免責事項:山口憲和は、このメールの中で正確で常識的、倫理的な人事管理、雇用者、職場、保険情報等を提供するために万全を期していますが、山口憲和は弁護士ではなく、このメールの内容は 法的助言として解釈できません。 法的助言は常に弁護士に相談してください。 この電子メール上の情報は、ガイダンスのためだけに提供されており、決して法的助言として提供されるものではありません。この情報を利用して損害が生じた場合でも弊社では責任を負いかねますのでご了承下さい。

 

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2026年5月4日月曜日

アメリカ人事| AIの使用強制は「宗教差別」になるか

 


アメリカ人事| AIの使用強制は「宗教差別」になるか

2023年最高裁判決が企業に突きつける現実


【この記事のポイント】

  • 従業員がAIの使用を「宗教的信念」を理由に拒否した場合、企業はTitle VII(民権法第7条)に基づく宗教的配慮(Religious Accommodation)の義務を負う可能性がある
  • 2023年最高裁判決(Groff v. DeJoy)により、配慮を断る企業のハードルは大幅に引き上げられた
  • 宗教差別訴訟の件数は急増しており、AI関連の案件は今後さらに増加する見通しだ
  • 「AIに関するReligious Accommodation申請の第一号被告企業になる可能性がある」と法律専門家は警告する

1. 急増する宗教差別申請——コロナ禍からAIへ

米国の労働法律事務所Ogletree DeakinsのシェアホルダーであるJames Paul氏は、20年以上のキャリアの中で、宗教的配慮に関する問い合わせはかつて月に1件あるかないかだったと語る。それが新型コロナウイルスのパンデミック以降、状況は一変した。ワクチン接種義務、マスク着用、検査要件をめぐる宗教的異議申し立てが急増し、「現在は1日に2〜3件、問い合わせが来ない日はない」という状態になっている。

そして2026年、新たなトレンドがこの流れと交差しつつある——AIの職場導入だ。CHROアソシエーションとサウスカロライナ大学ダーラ・ムーア・ビジネススクールが2026年3月に実施した調査では、CHROの91%がAIを「最も差し迫った懸念事項」として挙げた。AIが職場の標準ツールになりつつある中、「AIの使用を信仰上の理由で拒否したい」という従業員が現れ始めている。

Quarles & BradyのパートナーEvan Peña氏はこう警告している。

「もし今あなたがこの問題に直面しているなら、テストケース(判例の当事者)になる可能性が十分にある。」


2. なぜAIが「宗教」と衝突するのか

米国の民権法第7条(Title VII of the Civil Rights Act of 1964)における「宗教」の定義は極めて広い。仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教といった伝統的な組織宗教に限らず、個人が誠実に(Sincerely)保持する宗教的・倫理的・道徳的信条も保護される。

カトリック教会、末日聖徒イエス・キリスト教会(LDS)、全米福音主義協会、福音ルーテル教会、長老派教会(USA)、世界教会協議会、セブンスデー・アドベンチスト教会、さらにイスラム系・ユダヤ系・ヒンドゥー系の各団体が、AIと倫理に関する声明や指針を相次いで発表している。これらの多くは「人間の尊厳の保護」「AIによる害の最小化」「人間的つながりの維持」といった観点からAIの倫理的使用に警鐘を鳴らしている。

また、牧師やラビ、イマームから直接AIへの懸念を聞いた従業員が、独自の宗教的信念としてAI使用を拒否するケースも生じうる。「AIは神の領域を侵す」「AI生成コンテンツの使用は自己の良心に反する」といった主張も、本人が真摯にそう信じている限り、企業はこれを「非合理的だ」として一方的に切り捨てることは、法的リスクにつながる可能性がある。


3. 判例から見るリスク——「獣の刻印」事件の教訓

AIに関する直接の最高裁判例はまだ存在しない。しかし、新技術の導入をめぐる宗教差別事件として、EEOC v. Consol Energy(第4巡回区控訴裁判所、2017年確定)が重要な先例となる。

概要は次のとおりだ。ウェストバージニア州の炭鉱で37年間勤務した福音派キリスト教徒の従業員が、会社が新たに導入した生体認証(手のひらスキャナー)の使用を拒否した。スキャナーが「獣の刻印(ヨハネの黙示録)」に関連すると信じたためだ。会社はこの宗教的配慮の申請を誠実に検討せず、既に手の怪我を持つ従業員には別の入力方法(キーパッド)を許可していたにもかかわらず、宗教的異議を持つこの従業員には同じ配慮を与えなかった。結果として従業員は退職強制(構成的解雇)に追い込まれた。

陪審はEEOCの主張を認め、会社は約59万ドルの賠償(逸失賃金・慰謝料等)を命じられた。

AIへの示唆: 会社側がその技術の合理性を確信していたとしても、代替手段が存在する以上、宗教的配慮の義務が生じる可能性がある。「当社の標準ツールだから」という論理だけでは、法的リスクを回避できない可能性があることに留意が必要だ。


4. 2023年最高裁判決——「言い逃れ」が通じなくなった

Groff v. DeJoy(最高裁、2023年6月29日・全員一致判決)は、宗教的配慮をめぐる法的基準を根本から変えた。

1977年のTrans World Airlines v. Hardison判決以来、約50年間にわたって下級裁判所が適用してきた「De Minimis(わずかなコスト)基準」——すなわち「少しでもコストが増えれば配慮拒否が認められる」という低い基準——を、最高裁は実質的に廃棄した。

項目旧基準(Hardison判決・1977年〜)新基準(Groff v. DeJoy・2023年〜)
配慮拒否の基準「わずかなコスト(De Minimis)」を超えれば拒否可能「当該事業全体の文脈において実質的に増大するコスト」の証明が必要
企業側の負担低い(少し手間が増えるだけで拒否できた)高い(具体的・重大な業務上の損害を立証しなければならない)
同僚への影響同僚の負担増だけで拒否可能「事業全体への実質的影響」がなければ拒否理由にならない可能性がある

具体的には、「少し効率が落ちる」「管理が面倒になる」「同僚が不満を持つ」といった理由だけでは、AI使用免除を拒否することが困難になる可能性がある。配慮を断るためには、「当該事業全体に対して実質的に重大なコストや支障が生じること」を雇用主が具体的に立証することが求められる。


5. Title VII分析の3ステップ

宗教的配慮の申請があった場合、法的には次の3段階で分析が行われる。

① 従業員に「真摯な宗教的信念または慣行」があるか

信念の内容が合理的かどうか、科学的に正しいかどうかは問われない。本人が誠実に保持していれば足りる。「AIの使用は反キリスト的だ」という主張であっても、会社がその信念を「誤っている」として一方的に退けることは、訴訟リスクにつながる可能性がある。

② その信念・慣行が、職場のルール・要件と実際に衝突しているか

例えば、「全業務でAIツールの使用を義務づけている」という職場ルールと、「AIを使いたくない」という宗教的信念が衝突すると判断される可能性がある。

③ その衝突を解消できる合理的な配慮(代替手段)があるか

これが最も重要な判断ポイントだ。Groff基準のもとでは、代替手段を真剣に検討せずに申請を却下することは、訴訟リスクを高める可能性がある。


6. HRが取るべき実務対応

① インタラクティブ・プロセスの開始

従業員から宗教的配慮の申請があった場合、即座に否定せず、まず対話(Interactive Process)の場を持つ。その信念が「真摯なもの」であると仮定して進めることが基本姿勢だ。

② 代替手段の具体的な検討

「AIを使用せずに、その職務の本質的機能(Essential Functions)を遂行できるか」を検証する。

  • 配慮が現実的な例:生成AIを使用せず、手動でレポートを作成する
  • 配慮が困難な例:AIエンジニアとして採用され、AIの開発・運用そのものが職務の核心である場合

重要:職種・業務内容によって判断は異なる。AIを周辺的に使う業務と、AIが業務の中核である職種では、配慮の妥当性が変わる可能性がある。

③ ポリシー・職務記述書・評価基準の見直し

AIの使用を前提としたパフォーマンス評価基準が設定されている場合、それが宗教的配慮を受けた従業員に不当に不利に働かないか確認する。職務記述書(Job Description)にAI使用要件が記載されている場合も、その要件が業務の本質的機能かどうかを再検討することが望ましい。

④ 一貫性を保つ

配慮の判断は公平・一貫して行うことが重要だ。Consol Energy事件では、身体的理由での免除を認めながら宗教的理由を拒否したことが、違反認定の根拠の一つとなった。医療上の理由と宗教的理由で対応に差異が生じる場合、Title VII上のリスクが高まる可能性がある点に注意が必要だ。

⑤ 記録の文書化

結論がいずれであれ、以下を必ず文書として保存する。

  • どのような代替手段を検討したか
  • なぜその手段が「事業全体に対する実質的なコスト」になる(またはならない)と判断したか
  • 従業員との対話プロセスの記録

重要:従業員の宗教的信念が「本当に真摯か」を過度に問いただすこと自体が、訴訟リスクにつながる可能性がある。不必要な信念への疑問は避けることが推奨される。


7. まとめ:AI導入は「技術の問題」ではなく「人権の問題」でもある

AIツールの全社導入は、単なるシステム更新ではない。それは「労働条件の変更」であり、一部の従業員にとっては信仰・良心との衝突を意味する可能性がある。

Groff v. DeJoy判決によって、企業が宗教的配慮を安易に断ることはもはや容易ではなくなった。コロナ禍を経て宗教差別訴訟は劇的に増加しており、AI関連の申請はこれからさらに増える見通しだ。現時点では判例がほとんど存在しないだけに、「最初のAI宗教差別訴訟の被告企業」にならないよう、先手を打った対応が求められる。


【HR実務チェックリスト】

  • AI使用に関する宗教的配慮申請プロセスを整備しているか
  • 職務記述書・評価基準にAI使用の必須性が明記・検証されているか
  • 配慮の判断を医療的理由と宗教的理由で一貫して扱っているか
  • インタラクティブ・プロセスの記録(文書化)が整備されているか
  • Groff v. DeJoy基準(2023年)をもとにUndue Hardshipを判断できるか

【参考記事・情報源】

  • HR Dive: AI mandates may stir up religious objections. HR should prepare now. (Ginger Christ, Jan. 2026) https://www.hrdive.com/news/ai-mandates-may-stir-up-religious-objections-hr-should-prepare-now/818857/
  • Ogletree Deakins: The Mark of the Bot: When Employees Raise Religious Objections to Workplace AI Usage (April 2026) https://ogletree.com/insights-resources/blog-posts/the-mark-of-the-bot-when-employees-raise-religious-objections-to-workplace-ai-usage/
  • EEOC: Religious Discrimination — Groff v. DeJoy guidance https://www.eeoc.gov/religious-discrimination

【免責事項】

本記事は情報提供のみを目的としており、法的助言ではない。掲載内容は執筆時点の情報に基づいており、各州の法律や最新の判例状況については、必ず法務専門家にご相談いただきたい。

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